3月8日は【国際女性デー】実はロシア革命とも関係があった!
こんにちは。日本に住んでる時は国際女性デー(International Women's Day)なるものを知らなかったmaruです。
ロシアでは3月8日の国際女性デーは祝日。今年は日曜なので、9日が振替休日となり、3連休です。
3連休なので旅行に行こうと思っていたのですが、コロナウィルスの影響でキャンセルになりました…涙
それはさておき、国際女性デー(国際婦人デーともいいます)。
日本ではあまり馴染みのない日だと思いますが、ここロシアでは男性から、または女性から女性にお花をあげるのが習慣となっています。
去年の3月8日も3連休で、その時はハンガリーに行くためにアエロフロートに乗ったのですが、機内でCAさんからお花をもらったのを覚えています。
なかなか粋なはからい!
今回はそんな国際女性デーについて書きたいと思います。
国際女性デーの起源
1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にデンマークのコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。
婦人参政権の要求がそもそもの始まりなんですね。「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」ということは、それだけ政治的に不自由で不平等だったということ。100年以上前の当時の女性たちは今の私たちの姿を見て、どう思うのでしょうね。
ロシア革命との関連
ロシア革命は帝政ロシアの打倒から、ソビエト連邦という社会主義政権の樹立までの一連の革命を指します。第一次革命は1905年、第二次革命は1917年の2月と10月に起こりました(二月革命、十月革命)。
国際女性デーに関係が深いのは二月革命の方です。
1917年2月23日、ペトログラードで国際婦人デーにあわせてヴィボルグ地区の女性労働者がストライキに入り、デモを行った。食糧不足への不満を背景とした「パンをよこせ」という要求が中心となっていた。他の労働者もこのデモに呼応し、数日のうちにデモとストは全市に広がった。要求も「戦争反対」や「専制打倒」へと拡大した。
ニコライ2世は軍にデモやストの鎮圧を命じ、ドゥーマには停会命令を出した。しかし鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして労働者側についた。
100年も前に国際女性デーに合わせて女性労働者がストライキに入り、デモを行ったとは…ロシア女性の強さを感じます。それは今でも変わらなそう!?
ちなみに当時ロシアで使われていたユリウス暦の2月23日は、現在一般的に使われているグレゴリオ暦の3月8日になるそうです。
※引用文中「ドゥーマ」とはロシアにおける議会のこと
国際女性デーを祝日としている国
一覧の26か国のうち、赤字は旧ソビエト連邦の構成国で12か国あります。多いですね。
ロシア革命によっておこったソビエト連邦ですから、二月革命記念日と重なる国際女性デーは大事な日だったのかもしれません。
ちなみに旧ソビエト連邦の構成国は15か国あったのですが、国際女性デーを祝日としていないのはエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国になります。同じ旧ソ連の構成国でもこのような違いがあるのは気になるところです。EUにも加盟しているし、ロシアとは縁を切ったぞ!という感じなのかな???
国際女性デーのお祝いメッセージ(ロシア語)
去年、ロシア人の友達から送られてきたメッセージをご紹介します。
【訳】幸せ、喜び、幸運、春の気分!!!
【訳】あなたの幸せと愛と願っています。それらはどんな贈り物より高価です。そしてこの美しい日に全ての夢が叶いますように。
メッセージを読むと、ロシア革命の日という政治色は全くなく、単に春の到来や女性のためにお祝いする日という感じがします。
ロシア人女性のお友達がいる方は、3月8日にこのようなメッセージを送ってみてはいかがでしょうか?きっと喜ばれますよ!
以上、国際女性デーのお話でした。