《大阪》細川忠興・ガラシャの足跡巡りと「こちかぜ」のカキ氷
こんにちは。しつこく忠興とガラシャを追いかけ回してるmaruです😅
忠興とガラシャの足跡巡りに出かける前に私が読んだオススメの本3冊です。
①『細川ガラシャ夫人』三浦綾子
②『利休随一の弟子三斎 細川忠興 』矢部誠一郎
③『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像 』井上章一
今回は細川ガラシャ最期の地、大阪・玉造へ!
まずは玉造稲荷神社。
こちらは予定外だったのですが、地下鉄の改札を出たところの案内図を見たら、この神社に利休居士顕彰碑があるとのことで、立ち寄ってみることに。
豊田秀頼ゆかりの神社だそうで、淀君と秀頼を結んでいた胎盤が納められていたり…
秀頼が奉納した鳥居があります。
この鳥居、なんでこんなに背が低くなってるんだろ?
そして利休居士顕彰碑。
秀吉の時代、この辺りに利休の屋敷があって、お茶の水を邸内の井戸から汲んでいた、そうです。
そしてカトリック玉造教会。
こちらの教会の祭壇の壁画には和服姿のマリア様と、高山右近、細川ガラシャが描かれています。
和服姿のマリア様 初めて見た!
(写真撮影禁止だったので、写真は載せられませんが)とても珍しいものが見れて、ありがたい気分に😊
外には細川ガラシャと高山右近の彫像。
細川越中守忠興屋敷跡。
こちらは越中井。
忠興邸内の井戸があったところだそうで、こちらが細川ガラシャ終焉の地。
細川ガラシャの辞世の句
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
どんな思いで詠んだのでしょうね…
この辺りに利休や忠興、ガラシャが住んでたんだと思うと感慨深かったです😍
当時は大阪城の天守も見れたんだろうなぁとか。
今はビルや道路の高架に遮られて、全然見えないのが残念です😔
さて、暑いので今日は散策の途中でカキ氷を食べようと決めてました。
お邪魔したのがこちら、こちかぜさん。
和の落ち着く雰囲気の店内。
梅のカキ氷、めちゃくちゃ美味しかったです!
元気が出たところでもうひと歩き。
真田幸村の真田丸も近かったです。
合戦の配置図や様子なども。
六文銭をバックに勇ましい真田幸村像。
今日の発見。
歩いてみてわかったのですが、細川忠興邸と千利休邸は徒歩7、8分のご近所さんだったんですね。
利休と利休七哲の一人、忠興との交流が近所ゆえに頻繁にできていたのでは…と想像しました😊
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