細川ガラシャは美人じゃなかった?『明智光秀と細川ガラシャ』(筑摩選書)

細川ガラシャと忠興に関する読書の流れで、お次はこの本を読みました。

 

 

この本、めちゃくちゃ面白かったです!

 

聡明で美人だった言われる細川ガラシャについて、「実は特に美人ではなかったのではないか。美人だったというのは後付けされたイメージではないか。」ということをこれでもか、これでもかといろんな文献をもとに考察しています。

(当時アジアでキリスト教を広めたかったイエズス会が様々な資料を残しているようです。)

 

細川ガラシャって美人じゃなかったのか…!?

 

遠い異国のキリスト教徒の女性が謀反人(明智光秀)の娘であり、夫(細川忠興)に虐げられ、最後は敵に捕らわれるのを良しとせず家臣に命を取らせる…という、まさに音楽劇の題材にピッタリだったガラシャ。広く民衆に受け入れられるには、その悲劇のヒロインは美女でなくてはならないという、イエズス会の思惑…目から鱗でした。

 

ちなみに、これを読んだのと同じくらいの時期にNHKでイエズス会が残した資料を読み解く番組があって、そちらも面白かったです。

戦国~江戸時代の日本がヨーロッパとどのような関わりがあったのか、日本の合戦の背景にあるポルトガル、スペイン、オランダの思惑。

イエズス会の宣教師が実際に信長や秀吉に会った時に感じた人物像などが書き残されているのも初めてみました。(結構笑えた!)

www2.nhk.or.jp

 

さて、今回明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像 (筑摩選書) [ 井上章一 ]を読んでわかったのが、細川ガラシャの最期の地となったのが、大阪・玉造の細川忠興邸だったということ。

googleマップで探してみたら、細川忠興邸跡というのがあるじゃないですか!

 

これは行ってみるしかないですね…細川忠興・ガラシャ熱はつづく(結構しつこい笑)