ロシア人にとってのスウェットは日本人にとっての浴衣なのか⁈
こんにちは。maruです。
ソチオリンピックが開催されたソチへ旅行に行った時の話です。
ソチはロシアの中では南の方にあり、海も山もあるリゾート地です。海の方は冬でも比較的温かく、太陽が燦々と照ります。(ロシアでは超貴重な太陽!)
スターリンもこの地がとても気に入り、別荘を持っていたほどです。
え?壁が全部みどり…なんで⁉️
何かの本で読みましたが、スターリンは暗殺を恐れて、寝室を複数用意し、居所を突き止められないよう毎晩違う部屋で寝ていたそうです。
それだけ悪いことしてると自覚してたのでしょうか…
この別荘の壁の緑もなんだか強迫観念に駆られてるように感じてしまうのは私だけかな???
少し話がそれましたが…
ソチの山側クラスナヤ ポリャーナの風景はこんな感じ。
海側はこんな感じ。
このリゾートにあるホテルに泊まって、朝食を食べていたときに気付いたのですが…
スウェットを着ている率が高い‼️
男性も女性も上下スウェットの人だらけです。
色はグレー、ベージュ、赤、ピンクなどいろいろなのですが…
ここで思ったのが…
日本人が旅館で浴衣を着てウロウロ歩くのと同じ感覚なのでは⁈
ロシア人👉リゾートホテルでスウェット
日本人👉旅館で浴衣
町に出ても、お店のショーウィンドウは軒並みスウェットを一推ししています😳
毛皮のコートに並んでスウェット!
グレーと黒の2色でオシャレにしてますが、やはりスウェット!
ベージュ、カーキ、ブラウン、いろいろ取り揃えたスウェット!
ポイントは前にファスナーがない、かぶるタイプのスウェットのようです。(どーでもいい情報ですね😅)
いやぁもう洗脳されて、私もスウェットが欲しくなっちゃいましたよ😅
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ジャムとヴァレニエ
こんにちは。外出を控えてお家でまったりしているmaruです。
今日のおやつがザ・ロシアな感じになったので、写真を撮ってみました。
- ブリヌイ:ロシア風パンケーキといわれますが、クレープのように薄いもの。
- ヴァレニエ:ロシアのジャム。でもジャムとは違うもの。
- スメタナ:サワークリームのようなものだけど、やっぱり何か違うもの。
ブリヌイ
写真のブリヌイはスーパーで買ってきたものです(なのでとっても綺麗な形、笑)。
お家で焼くとうまくひっくり返せずに、破れたりぐちゃぐちゃになったりするので。
ちなみにマースレニッツァ(下記の過去記事ご参照)の時にはロシア人はブリヌイをたくさん食べますが、それ以外の時期にもカフェやレストランにはたいていある定番のデザートです。ブリヌイ専門のチェーン店もあります。
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ヴァレニエ
ロシアンティーというと、ジャムが添えてある紅茶を想像する方が多いと思いますが、正確に言うとあれはジャムでなく、このヴァレニエなんだそうです。
果実を煮詰めたものですが、ジャムほどの粘度がなくサラッとしています。
なので、ブリヌイや紅茶と一緒に食べるのには適していますが、パンにつけるとダラダラとこぼれるので食べにくいと思います。
ちなみにロシア人は紅茶にジャムを入れて飲む、というイメージがありますが、ロシア語の先生にそれを言ったら「紅茶に入れるのはジャムじゃない!ヴァレニエだ!ジャムは外国から来たもので、ロシアに昔からあるのはヴァレニエ!」と力説されました(笑)
ちなみにロシア語の表記でヴァレニエはвареньеです。
スメタナ
サワークリームに似ていますが、ちょっと違う…表現が難しいですが、ヨーグルトに生クリームを混ぜた感じ???でしょうか。実は、サワークリームとは製法も違うようなので、ロシア語の先生に聞いたらやはり全く違うものよ!と言いそうです(笑)
楽天、Amazon、カルディ、成城石井、冨澤商店などのオンライショップで買えるか検索してみたのですが、どこにもに見つかりませんでした。驚き😳
スメタナを検索しても作曲家のスメタナしか出てこない!笑
なぜ???
と思ったら、ウィキペディアにこんなことが書いてありました。
スメタナは比較的低温でも発酵が進むため、一般の乳酸菌ヨーグルトのように加温しなくても殖やすことができる。
また、低温に保てるため雑菌が繁殖しにくい。反面、流通過程で発酵が進み、発生したガスが密封容器を爆発させてしまう恐れがあるため、容器は空気穴を空けたものが用いられる。日本では、食品衛生法上、この空気穴を空けることが認められていない[要出典]ため、生菌を含む製品は事実上流通させることができない。 (ウィキペディア「スメタナ」より)
なるほど。それで見つからなかったんですね。
じゃあ、手作りしよう!と思った方のために、レインビオ株式会社さんのサイトからレシピのページを貼り付けておきます。
ロシア風本格スメタナ – ダヒ ヨーグルト種菌 | レインビオ公式 通信販売
こちらの会社ではインドのヨーグルト「ダヒ」を作るための種菌を売っているそうです。インドのラッシーもこの「ダヒ」を使って作られているとのことです。
モスクワでは簡単に手に入り、何のありがたみもないスメタナやヴァレニキですが、日本に帰ったら恋しくなるんでしょうね…笑
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《大阪》細川忠興・ガラシャの足跡巡りと「こちかぜ」のカキ氷
こんにちは。しつこく忠興とガラシャを追いかけ回してるmaruです😅
忠興とガラシャの足跡巡りに出かける前に私が読んだオススメの本3冊です。
①『細川ガラシャ夫人』三浦綾子
②『利休随一の弟子三斎 細川忠興 』矢部誠一郎
③『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像 』井上章一
今回は細川ガラシャ最期の地、大阪・玉造へ!
まずは玉造稲荷神社。
こちらは予定外だったのですが、地下鉄の改札を出たところの案内図を見たら、この神社に利休居士顕彰碑があるとのことで、立ち寄ってみることに。
豊田秀頼ゆかりの神社だそうで、淀君と秀頼を結んでいた胎盤が納められていたり…
秀頼が奉納した鳥居があります。
この鳥居、なんでこんなに背が低くなってるんだろ?
そして利休居士顕彰碑。
秀吉の時代、この辺りに利休の屋敷があって、お茶の水を邸内の井戸から汲んでいた、そうです。
そしてカトリック玉造教会。
こちらの教会の祭壇の壁画には和服姿のマリア様と、高山右近、細川ガラシャが描かれています。
和服姿のマリア様 初めて見た!
(写真撮影禁止だったので、写真は載せられませんが)とても珍しいものが見れて、ありがたい気分に😊
外には細川ガラシャと高山右近の彫像。
細川越中守忠興屋敷跡。
こちらは越中井。
忠興邸内の井戸があったところだそうで、こちらが細川ガラシャ終焉の地。
細川ガラシャの辞世の句
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
どんな思いで詠んだのでしょうね…
この辺りに利休や忠興、ガラシャが住んでたんだと思うと感慨深かったです😍
当時は大阪城の天守も見れたんだろうなぁとか。
今はビルや道路の高架に遮られて、全然見えないのが残念です😔
さて、暑いので今日は散策の途中でカキ氷を食べようと決めてました。
お邪魔したのがこちら、こちかぜさん。
和の落ち着く雰囲気の店内。
梅のカキ氷、めちゃくちゃ美味しかったです!
元気が出たところでもうひと歩き。
真田幸村の真田丸も近かったです。
合戦の配置図や様子なども。
六文銭をバックに勇ましい真田幸村像。
今日の発見。
歩いてみてわかったのですが、細川忠興邸と千利休邸は徒歩7、8分のご近所さんだったんですね。
利休と利休七哲の一人、忠興との交流が近所ゆえに頻繁にできていたのでは…と想像しました😊
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《京都》細川忠興・ガラシャの足跡巡りと「御菓子司 聚洸」
前回からの記事に続きますが、細川忠興(三斎)とガラシャの本を下記の3冊読んだところで、彼らにまつわる場所に行ってみたいという気持ちになり😍
①『細川ガラシャ夫人』三浦綾子
②『利休随一の弟子三斎 細川忠興 』矢部誠一郎
③『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像 』井上章一
京都の大徳寺の塔頭・高桐院へ行ってみることに。
高桐院には松向軒という三斎好みの茶室があります。
豊臣秀吉主宰の北野大茶湯の時に三斎が作った茶室 松向庵を移築したものだそうです。
北野天満宮にも松向軒があり、こちらは同じ茶室を復元したもの。
毎月15日に月釜があり、一般の人でも参加できるそうなので、いつか行ってみたいなぁと思っています。
それから、高桐院の墓所には忠興とガラシャの墓塔となっている春日灯籠があるそうです。
春日灯篭は…
忠興が生前こよなく愛し,自ら墓標に指定したといわれる。この鎌倉期の石燈籠は利休愛蔵のものといい、秀吉に所望されたが蕨手に傷があることを理由に断ったものと伝える。後に忠興の所有となったが、忠興は「完璧すぎる」との理由からさらに笠の後ろ部分を大きく欠けとったという。数寄者(「お茶人」)のふるまいについての批判的な一例としてしばしば取り上げられる伝説である。
(ウィキペディア「高桐院」より)
さて、人気のない大徳寺の境内をテクテク歩きます。
朝早かったこともあり、空気が爽やか✨
ありました!高桐院✨
進んでいくと…
なんと!
「拝観を中止している」
との張り紙が😳
(きっとコロナのせい😣私が行ったのは10月の初めなので、今はどうなのかな…)
ここから先には入れませんでした😭😭😭
この先にスピルバーグ監督も絶賛したという竹林と苔の美しい参道があるはずですが、それも全く見えず😭
あ、でも瓦に細川家の家紋である九曜紋が。
これが見れただけでも、ちょっと嬉しい😊
この日は大徳寺の近くの和菓子屋さん御菓子司 聚洸 (じゅこう)さんで、主菓子を予約していたので、それを受け取りに。
こちらのわらび餅が絶品でした!
形は小さい大福のようで外がわらび餅、中に餡が入っています。(写真右上)
口に入れるとトロトロに溶けるのに、丸い形を保つように作るって、すごい技術なんだろうなぁ🧐
そしてこのきんとんの繊細なこと✨
色が淡くてはんなりしている上に、線が細い…。
お皿に乗せ替えるだけで崩れてしまいそうだったので、シートごとお皿へ。
こちらも大変美味でした〜😍
お店に行った時はまだ午前中でしたが、扉に「本日分は予約の分だけで完売」との張り紙があり。
予約しておいて良かった😊
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細川ガラシャは美人じゃなかった?『明智光秀と細川ガラシャ』(筑摩選書)
細川ガラシャと忠興に関する読書の流れで、お次はこの本を読みました。
この本、めちゃくちゃ面白かったです!
聡明で美人だった言われる細川ガラシャについて、「実は特に美人ではなかったのではないか。美人だったというのは後付けされたイメージではないか。」ということをこれでもか、これでもかといろんな文献をもとに考察しています。
(当時アジアでキリスト教を広めたかったイエズス会が様々な資料を残しているようです。)
細川ガラシャって美人じゃなかったのか…!?
遠い異国のキリスト教徒の女性が謀反人(明智光秀)の娘であり、夫(細川忠興)に虐げられ、最後は敵に捕らわれるのを良しとせず家臣に命を取らせる…という、まさに音楽劇の題材にピッタリだったガラシャ。広く民衆に受け入れられるには、その悲劇のヒロインは美女でなくてはならないという、イエズス会の思惑…目から鱗でした。
ちなみに、これを読んだのと同じくらいの時期にNHKでイエズス会が残した資料を読み解く番組があって、そちらも面白かったです。
戦国~江戸時代の日本がヨーロッパとどのような関わりがあったのか、日本の合戦の背景にあるポルトガル、スペイン、オランダの思惑。
イエズス会の宣教師が実際に信長や秀吉に会った時に感じた人物像などが書き残されているのも初めてみました。(結構笑えた!)
さて、今回明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像 (筑摩選書) [ 井上章一 ]を読んでわかったのが、細川ガラシャの最期の地となったのが、大阪・玉造の細川忠興邸だったということ。
googleマップで探してみたら、細川忠興邸跡というのがあるじゃないですか!
これは行ってみるしかないですね…細川忠興・ガラシャ熱はつづく(結構しつこい笑)